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東京高等裁判所 平成12年(ネ)419号 判決 2000年9月28日

控訴人 A野太郎

右訴訟代理人弁護士 堀博一

被控訴人 B山松夫

右訴訟代理人弁護士 市川幸永

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  控訴人と被控訴人間の浦和地方裁判所熊谷支部平成一〇年(手ワ)第一一号約束手形金請求事件について同裁判所が平成一〇年九月一六日に言い渡した手形判決を取り消す。

3  被控訴人の請求を棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

控訴棄却

第二事案の概要

本件は、被控訴人が、所持している原判決別紙約束手形目録のとおり手形要件が記載された約束手形三通(以下「本件各手形」という。)に基づいて、第一裏書人である控訴人に対して手形金及び各満期日からの利息の支払を求めたのに対し、控訴人が、控訴人には意思能力がなかったから裏書行為は無効である旨主張したところ、原審は、控訴人の抗弁を認めず、被控訴人の請求を認容した約束手形判決を認可したため、控訴人が、これを不服として控訴した事件である。なお、控訴人については、平成一〇年に親族が浦和家庭裁判所熊谷支部に対し禁治産宣告の申立をしていたところ、原審判決後の平成一二年五月二五日に保佐開始の審判がされ、控訴人は、当審において、本件裏書行為は保佐人の同意またはこれに代わる許可を得ないでしたものであるから民法一二条四項に基づいてこれを取り消す旨の主張を追加した。

一  前提となる事実(いずれも当事者間に争いがない。)

1  被控訴人は、本件各手形を所持している。

2  控訴人は、本件各手形の裏面の第一裏書人欄に署名押印した。

3  被控訴人は、本件各手形をいずれも支払期日に支払場所に呈示したが、支払を拒絶された。

4  控訴人については、平成一〇年に親族が浦和家庭裁判所熊谷支部に対し禁治産宣告の申立をしていたが、原審判決後の平成一二年五月二五日に保佐開始の審判がされた(以下「本件審判」という。)。

5  控訴人は、平成一二年七月六日、当審本件口頭弁論期日において、被控訴人に対し、本件裏書行為は保佐人の同意またはこれに代わる許可を得ていないから民法一二条四項に基づきこれを取り消す旨の意思表示をした。

二  争点及びこれに関する当事者の主張

1  本件各手形に裏書をした当時、控訴人には意思能力がなかったか。

この点に関する控訴人の主張は原判決書四頁五行目冒頭から同五頁一一行目末尾までのとおりであり、被控訴人の認否、反論は同六頁三行目冒頭から同頁九行目末尾までのとおりであるから、これを引用する。

2  控訴人は本件審判を受けたが、保佐人の同意またはこれに代わる許可を得ていないとして、民法一二条四項に基づいて、本件裏書行為を取り消すことができるか。

(控訴人の主張)

平成一二年四月一日から施行された改正民法も附則第二条(民法の一部改正に伴う経過措置の原則)で、この法律による改正後の新民法の規定は当該改正規定の施行前に生じた事項にも適用するとあるから、控訴人は本件審判を理由として民法一二条四項に基づいて審判前にした本件裏書行為を取り消すことができる。

(被控訴人の主張)

本件審判は本件裏書行為後にされたものであるから、控訴人はこれを理由として本件裏書行為を取り消すことはできない。

第三当裁判所の判断

一  争点1について

当裁判所も、本件各手形に裏書をした当時、控訴人には意思能力がなかったとは認めることができないと判断する。その理由は以下のとおりである。

1  なるほど、乙第一号証(小田晋作成にかかる精神鑑定書。以下「小田鑑定書」という。)によれば、医師であり精神保健指定医でもある国際医療福祉大学教授の小田晋は、「控訴人は軽度知的障害者であり、事理を弁識し、弁識にしたがって行為する能力に著しい障害を有し、心神耗弱の常況にあり、同人は、取締役として企業の運営に関して参与し、巨額の資産を運用することに関する判断能力を有していない。」と判定している。また、乙第八号証(池沢至作成にかかる精神鑑定書。以下「池沢鑑定書」という。)によれば、前掲禁治産宣告申立事件について家庭裁判所が鑑定を依頼した精神保健指定医である池沢至は、「控訴人は精神薄弱者であり、知的障害ことに抽象的事柄の理解、判断力が極端に低く、自己の行為の結果を予測判断する意思能力に欠けているので、自己の行為とその結果利害得失等について合理的判断をする能力に全く欠けている。」と判定している。

しかしながら、小田鑑定書の記載からは、本件裏書行為を判断する能力までなかったとするものであるのかどうかは必ずしも判然とするものではない。また池沢鑑定書は、前示のとおり家庭裁判所が同人を保護するために今後同人を無能力者とする必要があるか否かを判断するための資料として作成されたものであって、既になされた法律行為についてこれを有効とするに足りる意思能力があったか否かを判断するための資料として作成されたものではなく、したがって、鑑定の過程においても、既になされた法律行為の相手方など第三者からの聞き取り・情報収集は全くせず、控訴人本人及びその親族から聞き取った控訴人の家族歴、生活歴、行動歴を資料としただけである。そして、池沢鑑定書を資料としてなされた家庭裁判所の判断も、「心神喪失の常況にはないが心神耗弱者であると認められる。」というものに過ぎない。これらによって、本件各手形に裏書をした当時控訴人には意思能力がなかったものとまでは認めるに足りない。

2  さらに、証拠によれば次のような事情が窺われる。

(1) 控訴人は、原審控訴人本人尋問において、本件裏書行為の意味内容を全く理解できなかった旨供述しているものの、現在では書類に署名捺印したことについて、今になって当時のことを後悔しているとも供述している。

(2) 控訴人(昭和五年生)は、地元の高等小学校を卒業後、昭和五〇年に椎間板ヘルニアを患い入院するまで、ながらく続いた農家の跡取りとして家業の農業に従事し、この間妻花子との間に一男三女をもうけ、昭和四三年に父親が死亡した際には、姉二名、弟一名がいたが、広大な宅地、畑、建物等を全て相続し、椎間板ヘルニアの後遺症で農業に従事することができなくなってからは、先輩のやっていた保険の外交を手伝ったり、順番制になっている寺の役員を務めたりしたことが少しあっただけで、毎日ぶらぶらして過ごしてはいたものの、相続した建物や宅地から得られる賃料で生活しながら家庭生活を営んできている。

(3) 控訴人は、昭和五七年ごろ、C川が経営する会社に建物を賃貸したことがきっかけとなって同人と知り合い、一緒にギャンブルに出かけるなど親しく交際するようになり、同人の経営する会社の役員になったり、会社の忙しいときにはたまに手伝いに行ったりするうちに、C川に言われるままその経営する会社の債務について連帯保証したり、その財産に抵当権を設定したりするようになり、平成一〇年一月に入ってこれを控訴人の甥であるA野竹夫の知るところとなり、竹夫ら控訴人の親族は、同年同月二五日、C川と控訴人に、今後C川が控訴人と交渉するについては、竹夫及び控訴人の娘であるE田梅子の同席を必要とし、その同意のうえ協議を行うこととし、右二名の同席のない協議についてはこれを無効とすることに同意する旨を記載した「同意書」と題する書面に署名捺印させた。

(4) 控訴人は、C川に同人が経営する会社の資金として貸している金銭について、返すように催促したが、返済が得られなかったため、長くなってわからなくなると困ると考え、借用書を書いてもらい、これを受け取っている。

3  右のような事情のほか、原審本人尋問に対する控訴人の応答や別件における同様の応答の仕方をみると、控訴人に意思能力が欠けているとは認めがたく、これらの事情に照らすと、控訴人はむしろ、本件各手形に署名した当時、これによりC川が第三者から融資もしくは返済の猶予を受けることができることや、万一C川がこれを返済しないときは将来控訴人が責任を負うことになるかもしれないといった程度のことを理解することは、十分可能であったと判断するのが相当である。

二  争点2について

平成一一年法一四九号により改正された民法一二条一項二号、三項、四項によれば、被保佐人が約束手形に裏書するには保佐人の同意を得ることが必要であり、被保佐人は右同意又はこれに代わる許可を得ないでした手形裏書行為を取り消すことができるが、右の規定は保佐開始の審判後に被保佐人がなす行為またはなした行為の効力について定めるものであって、後日保佐開始の審判を受けた者が右審判前になした行為の効力について定めるものではない。

控訴人は、附則第二条(民法の改正に伴う経過措置の原則)本文が改正後の民法の規定は当該改正規定の施行前に生じた事項にも適用する旨を定めている点をとらえて、控訴人が本件審判を受けたことを理由として右民法一二条四項に基づいて右改正民法の施行前にした本件裏書行為を取り消すことができる旨主張する。

しかし、右附則第二条本文は、右改正民法の施行後にされた保佐開始の審判の効力が右施行前にしてあった法律行為にまで遡及することを定めたものではなく、右改正の理念及び趣旨を生かすために、改正規定の施行前に生じた事項(本件でいえば手形裏書行為)にも右改正前の民法ではなく改正後の民法を適用する旨を定めているにすぎず、前示のとおり改正後の民法を適用しても保佐開始の審判前になした手形裏書行為を民法一二条一項二号、三項、四項によって取り消すことができるという趣旨ではないのである。したがって、その行為当時行為者が、たとえば準禁治産の宣告を受けている場合には、改めて保佐開始の審判を受けなくても、右改正民法附則第三条二項の規定により当該行為者は被保佐人の地位に立つ者として、改正後の民法によって当該行為を取り消すことができるのであるが、その行為当時行為者が準禁治産等の宣告を受けていなければ、その後改正民法の施行後当該行為者が保佐開始の審判を受けたとしても、その保佐開始の審判前にした行為を取り消すことができるわけではないといわなければならない。この点に関する控訴人の右主張は採用することができない。

三  よって、被控訴人の控訴人に対する請求は理由があり、これを認容した手形判決を認可した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 近藤壽邦 川口代志子)

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